「喜之助の麺」と製麺所の歩み
1920年頃、初代 真砂源蔵が、当時兼業農家として冬の農閑期の仕事として素麺の製造を始める。
2代目喜之助は源蔵から独立し、現在の場所にて素麺製造を開始。
その後、顧客の増加に伴い素麺を専業化。
麺作りに強いこだわりを持つ喜之助は、試行錯誤しながら「喜之助の麺」を確立。
昭和35年、3代目博明が喜之助と共に素麺作りに加わる。
昭和56年、法人化。
平成10年、4代目淳が素麺作りに加わり、現在は家族(4名)での家内工業。
「喜之助の麺」を守りつつ、日々麺作りに努力を重ねている。
「2代目喜之助にまつわる話」
明治37年、兼業農家の3人兄弟の長男に生まれる。
当初は、葉たばこ、青りんご等を作りながら素麺製造をする。
やがて、研究と試行錯誤を重ね「喜之助の麺」を確立させる。
一時期は自社ブランド「瀬戸の錦」を販売。
トレードマークの帽子をかぶり、素麺を小脇に抱えて出かける姿は、近所でも有名だったという。
喜之助がこびきうどんの元祖である?との説有り。
好奇心旺盛な性格で、乗馬・テニスなどを嗜んでいた。
酒飲みで、魚を好み、また初物好きであった。
素麺の他に、肉牛の飼育にもこだわりを持ち、品評会では毎回入賞するほど。
昭和62年、没。
「喜之助伝説」
日本がようやく傷から癒え、高度成長期に差し掛かる頃、ボコボコとした アスファルトの路地を、
流行りの唄をを口ずさみながら歩く一人の男の姿があった。
2代目 真砂喜之助だ。素麺が乾く夕暮れになると、両手に荷物を持って家を出る。
「まぁ、呑まんかぁ」 – 片手には一升瓶
「食べてみさんせ」 – もう片手には丹精こめた素麺
自分の足で島内を巡り、 家々の門戸をくぐっては杯を酌み交し、素麺を振舞った。
そんな人柄がにじみ出た素麺は評判となり、人から人へと広まっていった。
喜之助はその時のことを、目尻にシワを寄せて、とても嬉しそうに語っていたという。
その息子・博明は、先代・喜之助が築き上げてきた味と思いを受け継ぎ、 喜之助が地道に素麺を広めてくれた話を我が息子に語り継ぐ。
それから何十年も経っても変わらない事がある。
”何よりもお客様とのつながりを大切に”
今は3代目博明と4代目淳が喜之助の意思を受け継いで、日々素麺と向き合っている。
幼い頃から見ていた喜之助の背中を思い浮かべながら・・・
会社概要
名 称 | 有限会社 真砂喜之助製麺所 |
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所在地住所 | 〒761-4301 香川県小豆郡小豆島町池田2484-2 |
TEL/FAX | TEL0879-75-0373 / FAX0879-75-0392 |
代表者 | 真砂 淳 |
kinosuke@kagawa.email.ne.jp |
アクセス
バスで来られる方は最寄りのバス停は
下車です。そこから山に向かって徒歩約5分です。